計算機科学だと数学寄りの理論的な分野以外だと 20 世紀前半の文献が出てくることはあんまなかったりするし大半の文献が電子化されてることも多いのでかなりラクな分野だよなと常々思う
妙齢に対する認識が合ってるかどうか調べて合ってることを確認したけど、説明に使われている「うら若い」という単語が今では真に「うら若い」人物を形容するために使われていない気がしてきた
ただ校訂版と研究文献の区分は,文書内での実際的な扱いとしては必ずしも一貫して区別できない(注釈が附属していたり,前書で行われた議論に言及したい場合はある).そのような場合に\citeを使うとLucretius: 1947のような,まるでルクレーティウスが第2次世界大戦後に何か一書をものしたかのようなナンセンスな表記になってしまう.
なので参照名を別にした書誌データを登録してrelatedを指定して使うとこのあたりをうまく解決できる.
文献表を出す際にうちの分野だとクリティカル・エディションと研究文献とを分けて出すのが望ましい.
なので校訂版はauthorを古典作家名,editorを編者名で登録しておいてkeywordsに適当な目印を書いておく.
#latex #bibtex
支援はな、支援する側とされる側の信頼関係がないと厳しいのよ
支援される側にも素質というものが必要になる
重荷に感じたり逆に自惚れたりしない素質ね
支援する人は支援したい人にその素養があるか見極めないと、支援した人が逆に自滅してしまう、これほどかなしいことはない……
フォン・ノイマンは「そこまで全部自分の仕事だというわけでも思いついてたわけでもないんだけど」と言ってもおかしくないと勝手に思ってる(憶測)
Dr. Alan Kay はご存命だし C++ なんかの OOP についてはコメントを寄せたりもしておられるので……。
「難しいから優しいの間のどの辺りにいるかの度合い」が「高い」ということが何を表すかどうかというのに比べて、「難しさの度合い」が「高い」ということが何を表すかの方が明らかだという感覚だと私は理解していて、私はそういう風に考えたことはなかったけれど、「高難易度」と表現することで特に得られるものも「高難度」と表現することで特に失うものも思いつかないので、自分の文章に関しては今後「高難度」に揃えても別に良いかなという気持ちになっています(すぐに忘れて「高難易度」と書きそうな感想)