割とfjについては,むしろ当事者くらいの立ち位置にはいたんで,語りたいことはそりゃあ山のようにあるんだけど……。
一応特記しておきたいのは,昔からのコアなメンバーが2chに行ったというのはほとんどなく,大手パソコン通信の流儀をそのまんまfjに持ち込もうとした人々が,直接IP接続できるようになって,2chに行ったということなわけです。
たぶん1995年くらいだと思うんだけど,大手パソコン通信からfjへの参加が可能になったはずなんだけど,この時点では,一般人がプロバイダーを通じてインターネットに接続するというのは一般的ではなかったのです。で,例えばニフティだと「ハンドル(ネーム)を使う」などの大手パソコン通信のBBSの流儀があったんだけど,fjもそののりで=fjの約束事を理解しようともせずに参加してきたというのがあったわけです。
……結構文化の衝突的な出来事はあったよね。
さて……2chにとってのエポックメイキングな出来事ってAkky(vs東芝)事件だったわけだけど,この当時にはプロバイダー経由でインターネットにつなぐことが大分一般的になっていたわけですが……。
サービスを提供する側でも例えばBBSを運用するためには,接続用の電話回線とホスト用のコンピューターを用意しなければならなかったのが,インターネットに常時接続しているコンピューター(共用で可)を確保するだけで,BBSを作れるようになったわけです。
で,BBSという形式は,草の根しかり,大手パソコン通信しかり,2chしかりで,脈々と受け継がれているわけです。
まあいいようによっては,fjも分散型BBSだったし,それが分散型SNSの走りだったということもできるんだけど……。
これは昔から言っているけど,NetNewsプロトコルは隣のサーバーに投げて終了なわけで,その点Mastodonなんかの「分散しているけど密な結合=できるだけサーバー間の同期をとろうとする」とはやはり違うと思うし,そもそもUNIXネットワークは「パケットは途中で消えるのが当たり前。到達する保障はない。」という世界観だったはずなのに(で,NetNewsプロトコルもそれを忠実に再現したものだったのに),それを理解せずに参加を許してしまったのが最大の敗因のような気がしているのです。
……言い換えるとね,「記事が歯抜けになる」「落ちる」ことが,直感的にわかりやすいと考える人達が,確実にいたってことなんだよね。文化が違うわけです。