『百合』という概念が包摂するものがあまりにも大きすぎるし、用語としての言及したときの解像度があまりにも足りていなくてすごいもやもやする。
名前のなかったアレというのもあるけど、他の表現で表されていた関係性も百合の概念に包摂されるようになった、というのが正しいかと
百合、既存の実は名前がついていた関係性に対して人々が認知をしていなくて『百合』というアイコニックなワードを手に入れてそれを人々が乱用しているのか、あるいは新規に見出された概念・関係性なのか。前者じゃないの。だからといっていい悪いという話じゃないですが。
高校:「情報科」教員、4割近くが保健体育、音楽の免許で - 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20180904/k00/00e/040/196000c
嫌な話を聞いてしまった……