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こんなんですが.motcha.techの管理人
インターネット老人会所属
当然ハゲた哀しみを歌ったものが日本人にバカウケした訳ではなく、玄宗皇帝も消え、乱れきっている都の政治に復帰したいけど、年老いていくばかりで辛いなあ…という杜甫の心に到達すると、最後にはまた国レベルに世界観が広がっているのがミソなのです
まあ、詩歌の世界は好きなように味わえるというのも魅力なのかもしらんが、どんな人がどんな想いで書いたかをなるべく汲み取るためにはよく知らないといけない
律詩は3-4,5-6句を対句にするのがルールで、対句縛りに沿って作るのが大変なんだけど、「李絶杜律」と評されるくらい杜甫は律詩に優れていて…例外的に春望の1-2句は対句と考えると
国は破れた が 山河は在る
城に春が来た が 草木は深い
となるってゆー
「城春にして草木深し」は、そんな混乱の中にある長安の町に春が来たけども、行楽シーズンだってのにお出かけする人なんかいなくて草木だけがただ生い茂ってる、という寂しい世界観
「国破れて山河あり」って、なんとなく見てると人が作った国は滅びて、山や川なんかの自然は残ってるなぁ、という対比に見えるんだけど違ってて…山河は天然の要塞というニュアンスで、それらが傷付かぬまま国家機構が破壊された(玄宗皇帝が逃げ出して国が滅茶苦茶になった)のを嘆いてるんじゃね?という説
末代が好きそうな文字列を発見した