アニメーションは沢山の人間の手を経て作られていて、それら多くの行程でそのような形になった必然性というモノがあるはず……とか考えると、読み甲斐がありますよね
アニメ、シナリオの複雑さに留まらず画面の情報量に意識を向ければ、キャラクターの振る舞い、画面のメインカラー、光の使い方、レイアウト、カットの繋げ方、BGMの選択、声優の演技、そういった要素ひとつひとつが複雑にシーンを構成しているので何度も見返すことになる
分からないという状態、己と外界を隔てる底無しの断絶が取った一つの形だと思っている。知識として知ることで、体験することでその隔たりを緩和することは可能かもしれないが、その視点そのものを自らのモノと出来るか否かは未知数でしかない。
分からないという状態の背後に垣間見える深い絶望の影、その影はきっと自分の足元にも長く伸びていて、しかしその長さ、深さを自身が知ることは適わない。その恐怖。
人間個々の知覚の限界が、言語の限界が、それぞれの捉えうる世界の範囲を規定し、それらの拡張は著しく困難であったとしたら
ボウルが深めなのも考えもの https://mstdn.jp/media/mVK1o99E74r5zf8Upiw