昔だったら外れハガキを持ち出してもお咎めなしだったろうけど、今はコンプライアンス~とか言って、先日作ったガイジ応募ハガキもシュレッダーにかけられて終わりそう
https://mstdn.jp/@hadsn/100985548353188379
完全にポスタルガイジって感じだし、封筒は封筒でアカンやつって感じ。2円を30枚も貼ってるのは、封筒の模様隠しなんじゃないかとすら疑う
秋田犬 2円30枚 福寿草 (コイル)10円2枚貼 静岡南 62.1.19 消印 エンタイア 大蔵銘版つき / 昭和62年 1987年 静岡県 丸型印 普通切手 https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/m290407520
アホな副手に当たるとレポートを書く気が霧散してしまうのでよくない (e.g. 色盲を知らない・本質を見ずに (宗教によって変わる) 体裁ばかり気にする)
これを言うためだけにどんだけの時間と、どんだけの文字数を費やして自分語りしたのやら
"お昼寝したら "風呂場で顔を洗おうと洗面器の中身を排水溝にあけたら、下痢便が水の下から姿を現した" というしょうもない夢を見てしまい、飛び起きた"
そんな中でも肉体が死んだとしても、復活する意志を強く持った上で死んだならば "タイムリープ" が成功するのではないか?と若干の疑問を抱きつつ、お昼寝したら "風呂場で顔を洗おうと洗面器の中身を排水溝にあけたら、下痢便が水の下から姿を現した" というしょうもない夢を見てしまい、飛び起きたことを紹介して筆を置かせていただきます
これまでの物理学・生物学・医学の常識からすれば肉体の死と意識の死は同義であるように、こういうまあ到底信じられないような話を根底においても肉体の死というのは意識を留め置く場所を失うことであり、望まない場所に "移動してしまう" ことを避けようとしたら消失は免れ得ないのではないか? 肉体、つまりは世界線の、ホッピングが難しくなるのではないか?といった疑問から、逃避のために死という方法を執ることができないわけであります。
死ぬ、というのは大変簡単な逃避の方法の1つではあると思うのですが、これまでに目にしたタイムリープの手法とは "意識をヨソに移動させる" というのが基本でありまして、いわば "意識を肉体と切り離す" というものであります。ここ最近のVRが肉体に及ぼす影響というのを見ていますと、死ぬことを目的とした行動は肉体の物理的な損壊だけでなく、タイムリープするには必須となる、意識すらをも殺してしまいかねないと判断できるわけです。
かような現状であり、何を思ったのか中学だか高校在学中にタイムリープできると "信じてしまった" こと、2012年にPCを失したショックでそういう系のまとめサイトをうろうろしていた際に、タイムリープとは所詮 (この世界とはよく似ているものの) 異世界転移であって時間を遡れるわけではないという記述を見た一方で、(同時ではなかったかもしれないが) 終活をした後に自殺したら (体験者からすると同じ世界に) タイムリープしてしまったという事案を見て、なんというかこう、死への誘いを感じてしまったわけです。
はてさて、そのようなやりとりがあったため、以前にトゥートしたようにもう限界である、どこかに入り直したいと親に言ったところ、さすがにもう時効なのか "2校分も学費を払ったので卒業しろ。でなければ自分で稼いで行け" と言われる始末。この歳になってしまうと賃金が高いところに潜り込むのは期待できず、せいぜい工学の学位が欲しいという欲しかなく、それくらいしか実現できないので、何が何でも、という気持ちも起きないのであります。しかしながらこのまま在学したところで本当に実験の単位は取れるのか、学位は取れるのか、という疑問は尽きないのであります。
過去には、在学3だか4年目に人生をやり直したいという冗談を親に話したところ、それなら退学して別のところに入り直せばよかろう、という意見を受けた訳ですが、さすがにここまでの長期の在学と悪の枢軸たる手書きレポートに苦しめられ、精神をひどく病んでしまうとは予想しておらず、このままの卒業を目指すこととしてしまったわけです。今考えてみると、手書きレポートを課さない国公立大学を調査した上で退学・再入学という選択肢をなぜ執らなかったのか、と後悔する一方で、まあ再入学のための勉強が面倒だったかうまく行くか不安だったかなんだろうなあ、と思うわけです。
自省の内容は基本的に "なぜこんな状況になってしまったのか?" というものでありまして、持ち前のさぼり癖によって留年を重ねた事による生涯賃金の低下と学費の増大、そして生産性もクソもない手書きレポートという物に苦しめられている現状に対する怒りという物であります。さて、周囲には笑えない笑い話として、今年度から100分講義になった影響で実験題目が移動して、すでに取得できた前期実験と同じ実験を後期にやらなければならないという話を話しました。これ以外にも笑えない笑い話として、自分が入学した2012年度生が実験を行う2013年度から実験レポートが手書き指定になるという事案が発生しており、まあきっとこういう事がなければn年早く卒業し、ここまでの事態にはならなかったんじゃないかなあ、と希望的観測をぶち上げるわけです。
人間誰しもネガティブになる瞬間というのがあるわけですが、僕の場合は入浴時や目が冴えているときの入眠前なんですよね。この理由は非常に簡単で、普段起きている場合は常に何らかの、SNSを含んだ、コンテンツに接しているため、コンテンツについて考えていればよいので深い自省などが起こりようがないわけです。一方で入浴時や入眠時はスマートフォンなどの電子機器や紙媒体を利用するのは難しく、ついつい思考は自省の方向に行くわけです。